歯と口からの健康支援

歯科保健から見た児童虐待(ネグレクト)

東京歯科大学 臨床教授

埼玉県立大学 健康開発学科非常勤講師

東京都板橋区 要保護児童対策地域協議会委員

森岡歯科医院 院長 森岡俊介

はじめに

我が国では、平成12年に児童虐待の防止等に関する法律(児童虐待防止法)が制定されて以来児童虐待は増加の一途を辿っています(図1)。

図1.児童相談所での児童虐待相談対応件数とその推移

児童虐待に対する取り組みの重要性は、最悪の場合に虐待死という子どもの生命に関わる事と、本来、最も安心でき、最も愛してくれるはずだった養育者の下で虐待されつつも育っていかねばならないという、子どもにとって人権侵害を解決することです。虐待された子どもは情緒面や行動面に問題を抱え、その結果、生涯に亘り社会性や対人関係上の困難性を抱える場合も少なくありません。そのことは子育てにも影響し、世代を越えて、その影響が引き継がれると言われています。

児童虐待

児童虐待の種類別相談件数では(図2)昨年度、身体的虐待やネグレクトは概ね25%程度となっています。特に、心理的虐待の割合が増加していますが、児童虐待の考え方の変化に伴い、従前は児童虐待の範疇でなかった母親のDVを目撃する子どもを被虐児として扱う事となったためです。

図2.児童虐待の種類別件数の推移

また、虐待する養育者を見れば(図3)、半数以上は母親で、そこには根強い母親役割の強要や経済不況等の世相の影響、あるいは少子化、核家族化の影響からくる未経験や未熟さ、夫婦間の問題、さらに世代間伝承等が考えられます。児童虐待の発生リスク要因は身体的、精神的、社会的、経済的等の要因が複雑に絡み合って起こると考えられています。

虐待をする養育者はストレスのはけ口を、家族内の弱者である子どもに向けていることが考えられます。

図3.主たる虐待者

被虐児の歯科疾患の特徴

言うまでもなく、歯科疾患として代表されるむし歯や歯周病の原因の主なものの一つは生活習慣によるものであり、自然治癒のない不可逆性疾患である一方、予防効果や長期維持管理が出来ることが特徴となっています。

乳幼児期から好ましい家庭環境ではなく過ごした被虐児においては、生活習慣の乱れから歯科疾患が発症しやすいことが推察されます。

実際に、私どもが平成14年度に児童相談所一時保護所や乳児院で被虐児の口腔内状況の調査をおこなった結果でも、被虐児は一般の子供に比べて、むし歯罹患率が高く一人あたりむし歯数が多いことが解っています。

近年、8020運動を始めとする歯科保健の普及と健康志向の向上と適切な歯科医療の提供により、国民の口腔疾患は減少しており、この傾向は平成24年度に児童相談所一時保護所で行った被虐児の口腔内状況の調査結果と平成14年度の結果を比べれば、同様な傾向を示していました。しかしながら、未だに被虐児は一般の子供に比べて、むし歯罹患率が高く一人あたりむし歯数が多い(図4-7)ことが判明しています。 

特にむし歯罹患率や未処置率は、被虐児の虐待分類の中でもネグレクトの子どもに高くなっていました。(図8)被虐児、特にネグレクトの場合には、養育者が子どもの日常の世話をしていないという状況にあり、生活習慣に問題があることから、要保護児童の中でも歯科疾患のリスクが高くなっていると考えられます。

図4.乳歯むし歯罹患率の比較
図5.永久歯むし歯罹患率の比較
図6.乳歯一人平均むし歯数の比較
図7.永久歯一人平均むし歯数の比較
図8.被虐児、虐種別のむし歯罹患率

児童虐待に関わる歯科保健の役割

児童虐待の中で被虐児が死に直面するような事例では、法歯学的判断を除けば歯科が関わることはほとんど皆無と考えられます。児童虐待に関わる歯科保健の重要性は、児童虐待の予防と早期発見とその対応と考えています。児童虐待の予防としては養育者、特に、母親に対する食育等を通じた養育支援で育児ストレスの解消を図ること、あるいは、歯科の特性として子育て家庭に対し世代を通じて長期に関わった中での情報を活用し養育支援をすることなどが考えられます。児童虐待の早期発見では、子どもの口腔内状況をからの情報提供で児童虐待防止関係機関と連携することや、小学校高学年以上であれば歯科保健の知識を活用し被虐児の生活習慣に対する自立支援に取り組むことができます

おわりに

児童虐待の問題は、社会環境の変化によって増加してきています。このリスクは、様々な要因が考えられていますが、歯科保健の知識でもその中の一部要因を捉えることが可能です。

しかしながら、我が国において歯科保健の重要性は十分理解される環境にはありますが、未だ、その具体的内容や活用方法が、歯科関係者以外に広く正しく伝わっている状況とは言えないでしょう。特に、次世代を担う子どもたちの中で、被虐という心身ともに困難な環境で生育している子どもに対して、歯科保健の情報を積極的に虐待防止関係者と情報共有することが重要と考えます。