「学校保健の歴史」(1)

埼玉大学教育学部準教授 七木田文彦
(平成20年度版 学校保健の動向より)

明治期:学校衛生のはじまり

 日本における近代学校教育制度は,1872(明治5)年に発布された「学制」により始まる。1879(明治12)年には「学制」が廃止され,新たに「教育令」が制定された。さらに1886(明治19)年には「小学校令」「中学校令」「帝国大学令」「師範学校令」のいわゆる「学校令」が公布され,今日に至る学校体系と教育制度の原型が整えられた。

 学校教育制度が整備される中で,学校において子どもの健康を管理する,そして発育発達を推進するための制度が整えられた。これらを「学校衛生(Scool Hygiene)」と呼び,1945(昭和20)年の終戦後は「学校保健(School Health)」と改められた。

 日本における学校衛生は,1891(明治24)年,文部省に「学校衛生事項取調嘱託」として三島通良が着任したことに始まる。三島は全国各地の学校衛生状況を調査し,その結果を政策に反映させる試みを行っている。これ以降,1896(明治29)年には文部省に学校衛生顧問および学校衛生主事が置かれた。また同時期に,有識者による学校衛生顧問会議が設置されている。

 学校衛生の始まりと発展の一端は,学校環境衛生として「学校清潔方法」(明治30年1月),子どもの発育発達として「学生生徒身体検査規程」(明治30年3月),学校医の設置について「公立学校ニ学校医ヲ置クノ件」(明治31年1月),感染症予防について「学校伝染病予防及消毒方法」(明治31年9月)に見ることができる。

大正期:学校衛生の発展

 1916(大正5)年,1903(明治36)年以降廃止されていた学校衛生顧問会議の後続会議として学校衛生調査会が設置された。これにより文部省内には学校衛生に関する担当課と学校衛生担当官が置かれることとなった。

 文部省への担当部局の設置と有識者会議の復活は,大正期の学校衛生制度が発展する基盤を形成した。このことにより1919(大正8)年「学校伝染病予防規程」公布(従来の「学校伝染病予防及消毒方法」廃止),同年「児童生徒及学生ノ近視予防ニ関スル注意」公布,1920(大正9)年「学生生徒児童身体検査規程」(従来の「学生生徒身体検査規程」廃止)など,次々と学校衛生制度の制定と改訂がなされた。

 また1920(大正9)年12月には,学校衛生の全国的な研究と普及のために帝国学校衛生会(現日本学校保健会)が設立された。

 帝国学校衛生会は,雑誌「学校衛生」の刊行と年1回開催する帝国学校衛生会総会および全国聯合学校衛生会などにより研究の成果を全国に普及させた。

 さらに1924(大正13)年「地方学校衛生職員制」の公布により,道府県に学校衛生技師が配置され,各地域への学校衛生の普及がより強化された。

戦前・戦中昭和期:健康教育の隆盛

 戦前昭和期の学校衛生は,インフラ整備として学校環境を整えるだけではなく,健康教育を強調した。この時期は,海外からの思想を積極的に導入した時期でもあり,米国から健康教育思想を受容した。健康教育は,健康知識の教授にとどまらず,衛生訓練や保健管理をも包括し,健康を目指す主体的自己を形成する試みとして展開された。各地で実践された健康教育には,大きな地域差も見られたが,明治・大正期に発展した学校衛生を基盤として発展的に試みられた健康教育は,戦後に具体化される学校保健計画の雛型をこの時期に形成していた。

戦後昭和期・平成期:学校保健の確立

 第二次世界大戦後,学校衛生(School Hygiene)は,学校保健(School Health)と呼び改められた。戦後教育改革による学校保健の新たな試みは,統一的な学校保健システムの確立として「中等学校保健計画実施要領(試案)」(1949年),「小学校保健計画実施要領(試案)」(1951年)へと学校保健を結実させた。この健康を推進する学校の構想は,児童生徒・教師・校長・PTAらが参加する学校保健委員会システムを生み出した。この調整役として各学校には保健主事が置かれることとなった。

 さらに制度としての到達点は,明治期の学校衛生から戦後教育改革を経て総合的法律として「学校保健法」へと結実した。

掲載日時:2014/01/21   

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